1月も終わりかけた土曜日の昼すぎ、雑用を処理しようと出社したら、携帯電話が鳴った。「Fが死んだ。自殺、首を吊った」。高校野球部の同僚、元三塁手からの連絡だった。新年早々、詰まらぬ冗談をと言いかけたが、きまじめな彼の横顔を思い出して思いとどまった。

 「で、原因は。商売をしくじったか」と問いなおしたが、要領を得ない。

 Fはエースで4番、180センチを超える体躯は見映えのする男で、多くの女生徒から恋慕されたが、不器用な性格はひとつの恋を実らせることなく3年間を終えた。卒業間際、明治大学硬式野球部のセレクションを受けたが、名門野球校や、甲子園の猛者たちと太刀討ちできるはずもなく、不合格になると進学をあきらめ、家業を継いだ。

 理由が分からない。自殺前夜も子供たちと食卓を囲み、「明日は仕事休み。寝坊が出来る」と床に入った、と元エースの妻は途方に暮れた。40代も後半になって3人目の子供をもうけた。上の2人が女児だったから、キャッチボールの出来る男児が欲しかったのかも知れない。

 オリックスのスカウト部長(編成部長)、三輪田勝利が沖縄の賃貸マンションから身投げをしたのは1998年11月27日だった。ドラフト1位指名した新垣渚の入団交渉、その最中での自殺。ドラフト制度の欠陥、難航する交渉過程での死だけに様々な憶測を呼んだ。

 「お父さん、大丈夫?」

 「はい、はい大丈夫。お母さんに言われて電話を掛けてきたのか」

 体調を懸念する妻に変わって掛けてきた、長女との会話が最後の言葉になっている。

 毎日新聞記者・六車護氏はその著書「名スカウトはなぜ死んだか」(講談社刊)で書いてた。そして、こう付け加えた。「自死とは現状からの逃避ではないかと思う。瀬戸際で思いとどまる道を三輪田は選択出来なかったということなのであろう。あの27日の朝、急激に死がひらめいたとすれば、何ゆえなのだろう」。

 チームメイトだった、私の、元エースの死亡推定時間は午前6時。縊死。これ以外、何も分からない。無自覚な鬱が忍び寄り、発作的に死を選択する。心の闇は深い。