後楽園球場(現東京ドーム)があった時代だから、話は15年ほどさかのぼる。ある日、球場内のトイレで死体が発見された。球場側は箝口令を敷いたが、情報はじわじわ漏れ始め、夕刊紙の記者が嗅ぎつけた。

 「死人?」

 「まさか千葉さんじゃないだろうな」

 関係者は色めき立った。

 2002年12月9日、巨人の第2期黄金期を築いた名二塁手・千葉茂さんが亡くなった。さすがにそのプレーを見たことはないが、晩年の飄々とした風貌は記憶にある。昼すぎ、球場に一番乗りすると、記者クラブ室据え付けの洗面台でジャブジャブ顔を洗っている。よれよれの背広、シャツは胸がはだけ、踏みつけられた靴のかかとは茶色く、瘡蓋(かさぶた)のようになっている。

 「けったいなおっさんやな」というのが印象だった。あとで先輩に聞くと「お前、よく見てみろ。靴はイタリア製、シャツはフランス、背広はイギリスだ。家は新宿の一等地だが、滅多に帰らない。ここに住んどるんじゃないかなぁ」と講釈をたれられた。なるほど、後楽園球場の「住人」は、じっくり眺めてみると高級品を身にまとっている。野武士然、茫洋としたこの人物にはこんな着こなしが似合うのかもしれない。

 グリルスイスというレストランが銀座にある。この店のカツカレーは千葉さんの発明だ。店を紹介したのが同じ銀座の老舗、銀座テーラーのご主人だった。高級服地のフランネルで背広をつくり、その帰りに立ち寄ったらしい。終戦間もない時期のフランネル、である。野暮に見せながらその実、強烈な美意識が見える。もっとも、当時の巨人のユニホームもまた、フランネルだったが。

 「巨人は間違っておる」。露骨を嫌う、巨人批判者だった。アンチ巨人派としては、その言葉をほくそ笑みながら聴き、記事にした。金にまかせ、選手をかき集める露骨な野球に警鐘を鳴らし続けた、その人である。

 享年83歳。

 この原稿は12月11日午後、通夜に向かう直前に書いた。冥福を祈る。