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「もうマラソンを人生に例えるのは、無理かもしれませんね」 テレビの解説者が漏らした言葉にハッとして、画面に目を向けた。10月13日のシカゴマラソン。声の主は往年の名ランナー、増田明美さんだった。 女子マラソンはポーラ・ラドクリフ(英国)が世界記録を1分29秒も更新する2時間17分18秒でゴール。フラットなフィールドを駆け抜けたのではない。コースの高低、風向き、気温、湿度。傍らのランナーとの駆け引き、戦略。あらゆる条件と交渉しながら、時間をかけて走るマラソンは、なるほど山あり谷ありの「人生」に似ている。 それにしても、速すぎる。 瓦礫をブルドーザーで二つに、ズィと押し分けるような力感。すれ違いざまに振り向けば、アッという間に背中が点となって、消え入ってしまうかのようなスピード。42・195キロを、一気に駆け抜けるラドクリフの走りは、なるほど「人生」らしからぬマラソンである。 もう一人、記憶に残る男がいた。アベベ・ビキラ。羊飼いの家に生まれ、皇帝の親衛隊となり、忽然と現れた1960年のローマ五輪マラソンでは世界新記録2時間15分16秒2。「はだしの英雄」は4年後、今度はシューズをはいて東京五輪に姿を見せた。タイムは2時間12分11秒2、3分5秒も記録を短縮しての「速すぎる」2連覇だった。 だが、その後の人生は喜悲が交錯した。69年の交通事故(これも事故とは単純に割り切れないが)で半身不随となり、車いす生活。パラリンピックで復活したものの、栄光の時間は短かった。金メダルが生んだ周囲のやっかみ、中傷。晩年は酒と女におぼれ、梅毒で死んだ一一と地元の人間から聞いたこともある。真偽のほどは不明だが。 享年41歳。 現実の人生でも、彼は速すぎた。 |