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2月1日の朝日新聞運動面。訃報(ふほう)がひとつ載っている。沢柳正義さん、享年97歳、野球場研究家とある。以前、このコラムで紹介したことがあるから、この名前に記憶をお持ちの方もいらっしゃるかもしれない。終戦直後の昭和21年。当時東京府(都)の役人だった沢柳さんは下井草の野球場建設に携わる。以来、その魅力にとりつかれ、生涯を、全財産を投じ全国各地の野球場を訪ね、設計図を集めた。上下巻からなる「野球場大事典」(大空社)はその集大成である。 ひとくちに野球場といっても塀を立て土地を囲み、バックネットを張れば良いというものではない。今はなくなってしまったが、福岡の平和台、下関球場、現存する小倉球場はどうやら同じ設計者のように思える。バックネット裏のスタンド中間に記者席があり、出入りはスタンド裏の回廊をつたう。ルーツは甲子園球場かもしれない。設計者が依頼主に請われ、渡り歩いたのかもしれない。いずれにしても彼らの密やかな思いは、無機質な設計図の直線、曲線のはざまに息づき、それを沢柳さんは1冊の本した。 それにしても、あの混乱の終戦直後に誰が一体、野球場再建を思い立ったのだろう。その心の豊かさに羨望する。土にまみれたことで、沢柳さんの人生が決定づけられ、できあがったグラウンドは「戦後」日本の、心の拠り所となった。 毎日、通勤途中に銀座を歩く。きらびやかな街であり、人々の群ではあるが、私達は今、精神の「グラウンド」を持っているだろうか。終戦直後の焦土以上に精神は荒廃しているのかもしれない。沢柳さんは良い時代に生きた。 |