こう書いては不謹慎だが、記事を見た瞬間、思わず吹き出した。「犬肉食やめない 韓国W杯組織委会長」。2002年サッカーW杯開催まで200日を切った。主催のFIFAがこのほど韓国組織委員会に対し、国際的なイメージダウンを理由に「犬肉を食べる習慣をやめなさい」と要請してきたそうだ。もちろん韓国側は猛反発、冒頭の見出しとなった。以前、韓国を旅行したとき、私も食したが、なかなかの美味だった。「実はこんな話もあるのです」と教えてくれたのは韓国の友人だ。「ベトナム戦争当時、進駐していた韓国軍に米軍から軍用犬が割り当てられた。しかし、翌日すべての軍用犬が消えたんです。食べちゃったんですな」。単なるジョークである。

日本も鯨肉食について、海外からの非難が絶えない。「韓国は犬、日本は鯨なんですよ」と日本組織委員会メンバーの一人が教えてくれた。動物愛護団体からのクレームも一理あるが、韓国側は「これは大切な食文化である」と引く姿勢を見せない。日本にとっての鯨も同様だろう。

そもそも「文化」とは、その国の人間しか理解出来ないものなのだ。お茶やお花の複雑なしきたりを外国人に理解しろ、といっても無理な話だろう。長い歴史の積み重ねが「文化」を育んできたのであり、そのしきたりの理由を求められたところで、返事のしようがない。「そういうものなのだ」と超越して見るのが常識というもので、ここが「文明」との違いである。例えばパソコンなど、どの国の、誰が使っても(努力は必要だろうが)、その便利さを共有できるもの、これが「文明」であり、その点を混同しては話が成り立たない。「犬がダメで牛は良いのか」と反論したら、どう答えるのだろう。

米中枢同時テロとて、同じことだ。アメリカなど先進国が押しつける「文明」に、悲鳴をあげたのがタリバン「文化」と言えなくはない。冷戦が終わって、戦争の多くは民族同士のあつれきになった。「文化」と「文化」のぶつかり合いでは、落し所がない。「よく話し合って」と言ったところで、大砲をぶっ放している当事者の耳には届くまい。