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四国は松山。道後温泉駅前の路地を入ったところに、「赤ちょうちん」がある。店の主人の自慢は、自分が「元巨人軍監督・藤田元司と最後に対決した男」であり、その結果「完膚無きまでに叩きのめされた」ことにある。地元での、ありふれた武勇伝に違いない。だが薄茶に変色した魚血がまだら模様をつくる、ダボシャツの下にのぞく鎖骨と肩のつくりは番屋の天井を支える梁(はり)のように、太い。強固な風貌はそれなりの「かつて」を感じさせる。 近接西条の番長、藤田元司のケンカは面白かった。いきり立つ相手を前に腕を組み、沈黙をまもった。「そうさなぁ、3分ぐらいだろうか。不気味だったよ」。取るに足らない相手ならきびすを返した。「値踏み」した上で、ひとたび戦闘態勢に入ればかなう者はなかった。藤田元司にケンカしてもらえることは一種、ステータスであった。そんな時代があった、という話である。 青春の余熱は、のちに野球選手としてより、監督人生に引き継がれたのではないか。 昭和55年秋。長嶋解任直後に監督就任。当時のことはすでに書き尽くされたから触れない。唯一の救いは原辰徳をドラフトで獲得したことだった。翌1年目のシーズンは王、牧野のトロイカ体制で優勝した。昭和63年秋。王解任。ここで名言を吐く。「友達がちょっと疲れたので代わってあげた」。その平成元年もペナントを制した。 「オレは勝てるのか」。いつも混乱のさなかに監督を引き受けた。ほんの一瞬の沈黙はつきものだったが、戦えば勝った。つまり藤田元司はケンカに2度、勝ったことになる。 巨人原辰徳監督が誕生した。藤田元司がその触媒になった、と噂を聞いた。「勝てる」と踏んだか。 最後のケンカが始る。 |